Skullcandy JIB+ ACTIVE

ランに飲み物を持っていくようになる

エストバッグだと上下して鬱陶しい

バックパックを使いだす

音楽プレーヤからのコードが鬱陶しい

ワイヤレスイヤホンを検討してみる
 
ヒモなしの方が鬱陶しくないんだろうけど
→走行中にポロリしそう
→夜暗いと探すのタイヘンそうだし何より不審っぽい
 
で、購入。

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赤いし。
ヨドバシさんで4,290円(ポイント429)と赤字基調のフトコロにも優しいし。

昔のヘルメット(その1)

ベースモデルはAraiのRAPIDE-V
1988年に購入
この頃に乗っていたのはNSR250R(MC18/1988)

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AraiのPOMS(PERSONALIZED ORDER MANAGEMENT SYSTEM)で
ペイントしてもらったもの。
白いトリムもPOMSでは指定可能だった。

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PC(富士通のFM-77だった?)が設置されていた上野の光輪モータースで注文。
オートバイが手元に来る10日くらい前に注文して、
(オートバイ屋さんに届いたのは1/15だけど、形式認可(?)が1/19だったか)
ヘルメットが届いたのは1月末。

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このPOMS、またやってくれないかな。
昔はお店にPCを置く必要があったけど今はwebシステムでイケるし。
ディフューザーも塗ってくれれば申し分ないけど、
透明のディフューザーでも構わない。

昔のヘルメット(その2)

ベースモデルはAraiのAstro-R
ペイントはSURFACE OMIYA
1990年に購入
この頃に乗っていたのはNSR250R(MC18/1988)

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デザインは「地味?、派手?、ドヒャ?」と問われて
「ドヒャ」でお願いしたもの。

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SさんがK大宮店の店長だった時代のペイント。
Sさんは元気にされてるかしら。
フェイスさんの番号(?)は#5前後だったかな。

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昔のヘルメット(その3)

ベースモデルはAraiのSUPER-e
ペイントはSURFACE OMIYA
1995年に購入
この頃に乗っていたのはCB1000 SUPER FOUR(SC30/1993)

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ペイントをお願いしたときは与野にあったサーフェイス大宮。
完成は鴻巣に移ったフェイスデザインプロダクションで。
フェイスさんの#215。

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おでこのAraiマークを蓄光塗料にしてもらってた。

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昔のヘルメットを飾ろうか

断捨離はもうちょっと先延ばしさせてもらって、
まずは愛でてみるか。
 
昔のヘルメットを取っておいたものの、
スポンジ類が加水分解でボロボロ。
 
Araiヘルメットでは古すぎて修理を受け付けてくれない。
ヘルメット修理をしてくれる業者がいくつかあるものの、
また被ろうというわけではないのでちょっと違うかな感。
 
よく見ると頬部分とかは無事で問題は頂部や底部。
今後は派手に動かすこともないし、
スポンジのカスを掃除機で吸えるだけ吸って、
底部にフェルトを貼り付けてしまおう、と。

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14日間の平成と、42日間の令和と。

認知機能は徐々に低下すると理解はしていた。
自宅に帰れば「徐々に低下」だけで過ごせると思っていた。
ガクッと落ちるのは余所(特に急性期の入院中)だと思っていた。

傲慢だった。

退院して日が経たない頃も「認知」による問題はあったが、
その度に持ち直しているように思えた。

しかし、連休明け、5月中旬、ときて、
5月下旬からは急な下り坂を転げ落ちるというか、
何もかもが悪い方へ、悪い方へ、行ってしまった。

厳しい状態になったため老健に相談とお願い。
6月3日or4日の入所をご調整いただくも、
「後悔するのではないか」「まだ何かできるのではないか」
などと思って断ってしまった。

傲慢だった。

その後は「何かできる」どころの状態ではなくなり、
6月11日に入所させてもらった。

碌な環境を用意できずに、
認知面も運動面もただただ落としてしまった、
14日間の平成と、42日間の令和は、ただただ親不孝なだけだった。